私の中で教職が死んだ日

1.はじめに

教職と言われても、ピンと来ない方もいるかもしれないので、最初に説明を。 教職とは、学生・生徒・児童(や公衆)を教える職。(Google辞書より)

簡単に言うと学校の先生のことである。 これになるためには、大学で必要な教職単位を全て取得し、介護等体験(中学教員は必須)や教育実習を経て、教員採用試験に合格することが必要である。

昨今、兵庫の激辛カレー事件などで教員のモラルの低下が大きな話題となっている。 確かに、あの問題に関してはそれに及んだ教員が悪い。

そして、他の教員達は悪くない。

こう考えるのは自然なことかもしれない。

だが、本当にそうなのか?

被害者はもちろん悪くないが、被害者と加害者側以外でこの問題を知っているものは本当にいなかったのか?

これもまた疑問な点である。

この問題からも教職の闇が垣間見えるのである。

では、教職になろうとする教員の卵は果たしてまともな人間なのか?

ここに目を向けたことがある人は少ないのでは無いかと考える。

一体、現実はどうなっているのか… それをこれから語ろうと思う。

※これは教職授業を受けて、教員になろうとしていた上で私が学んだことを書いたものとなりますので、過激な発言などが多少含まれますので、嫌な人はブラウザバックをオススメ致します。

2.自己紹介

はじめに、私の自己紹介を。 私は今年の12月で20歳となる、とある大学の社会学部2回生、社会の中高の教員免許取得を目指していた。 趣味はアニメとスポーツ観戦が好きなどこにでもいるようなまあ普通…の大学生かと思う。

私は、高校2年のときにクラスでいじめに遭い、その影響で人間不信になりかけて学校に行くのも嫌になっていた。 しかし、

・部活動でキャプテンを務めていたこと。

・なぜ、いじめのような卑劣な行為に自分が譲歩しなければいけないのか分からなかった。

・先生達がしっかりと相談などに乗ってくださった。

・高校3年のクラス替えでおそらく、便宜を図ってくださった。

・アニメにハマった。

これらのおかげで高校3年のときはある程度平穏に暮らせて、なんとか、大学に進学することができた。

(それでも、いじめの加害者側からの誠意のこもった謝罪もなく、卒業までグダグダと誹謗中傷は書き込まれた。)

私は幼い頃から人に何かを教えるということが好きで、中学の頃から教員になりたいと思っていた。

しかしまあ、私は意識高い系の性格に付いていけないタイプだったので、「教員」というなんでもできる人格者として成長できるのか、そして、自分の努力の追いつかない所なのではないかと不安に思っていた。

(要領よくサボるのが得意だったため。)

そして、大学1回生の後期に教職授業を取る手続きをした。

どんな人が、教授がいるのか少しワクワクしながらも。

それが真の地獄の始まりとは知らずに…

3.教職授業

皆さん、教員とは、どんなイメージがあるだろうか? 多くの人は「公平な人」「頭が良い」「見本となるべき人」

このような意見が出るだろう。

しかし、実際はこれと程遠いものだった。

意識高い系?もはや、絶滅していた。

辛うじて、私の1回生からの友人で教職を取っている数少ないまともな人がいるのだが、その人は大学に入って一度も授業を飛んでいないと語っていた。

(授業が被っているので、嘘ではないことは立証されている。)

その他に意識高い系なんて、存在しなかった。

いわゆる世間で言われる悪いイメージの大学生のお手本のような人物のオンパレードであった。

・未成年喫煙を堂々と学内で行う。

・飲酒強要。

・悪意のあるセクハラ発言。

挙げ始めるとキリがないのでこれくらいにしておこう。

それでも、最初のうちは頑張ろうと思っていた。

・土曜の朝から授業

・3回休んだら単位がない

・遅れたら死ぬほど怒鳴られる

・携帯の使用、居眠りだと追い出される

正直、この刑務所かと思うような環境で授業を受けるのは苦痛で仕方がなかったが、まあ耐えられた。

事件が起きたのはある教職授業の10回目の授業である。

教授が指名して、前方に表示されてるパワーポイントを読ませるようとしたところ、3人ほど漢字が読めない人が出てきた。

その漢字とは「連なる」などといった小学生でも習う漢字であった。

おいおい、嘘だろ…って辟易したが、まあ、これは序の口であった。

次にグループワークで 「教育現場で一番の問題は何か?それについてどう思うか考えろ。」

というテーマで話し合っていた。

このようなグループワークで、教授がいつも生徒をランダムで指名して、発言させるのだが、その日当てられたのは、教育実習も済んでいる大学4回生の方だった。

教授「君はどう思う?」

大学生「はい。私はいじめが一番の問題と思います!なぜなら、教育現場で挙げられる2つの問題として、不登校も挙げられますが、不登校不登校の生徒が学校に来るために動けばいいだけなので、問題解決のハードルがかなり低いかと。いじめは根が深いと思います。」

言うまでもないが、私は呆然とした。

不登校の解決が簡単?学校に来ればいいだけ?

正気で言っているのであれば、一度病院に行くことをオススメ致します。

どれだけの子供達が本気で、学校に行きたくても行けないかが分かっていない。

極めつけには、この考えを持っている方があと1年で、教員として教育現場に立ってしまう。

大変恐ろしく、血の気が引いた。

まだまだある。

Q.「いじめの解決には何が必要か?」

これに対して話しているときだ。

知り合いが、

「いじめなんてやられてる奴も悪いだし、無くならねえだろ。加害者側だけ責められるのおかしくね?」

と言った。

あまつさえ、これに賛同する者もいた。

私は理解ができなかった。

私情ではあるが、自分がいじめに苦しんでいた立場だったので、その言葉を担任や生徒指導の先生に言われたらどんな思いをしていたかと思うと気が気では無かった。

最悪の場合、自殺を選んでしまう。

人の心は思っているよりも脆いのだ。

まずは被害者のケアが最優先なのに加害者側の話から聞いてしまうとどう隠蔽するかという話になるのである。

Q.「なぜ、生徒間でのトラブルが起こると養護教諭が会議に参加するのか考えよ。」

これに5人当てられて、答えられた生徒は誰一人としていなかった。

皆さんは分かりますか?

A.「保健室を逃げ場所とする生徒がいたり、保健室に相談に来る生徒がいるから。」

これが正解です。

ですが、周りは

「そんな奴いるのかよ…」

「怪我とかの応急処置かと思った」

こんなものであった。

おそらく、保健室に悩みを相談するということをせずに過ごしてきた幸せな学校生活を送ってきたのだろうと思った。

そしてこの頃、私は気づいてしまった。

なぜ、教職授業にこのような人が多いのかと。

そもそも、いじめられたりすると、学校に良いイメージを抱かないから教員になろうとすら思わないのである。

だから、教員になろうとする人物の大半は

・いじめられた経験がない

または

・いじめの加害者側であった

という推測ができる。

だからこそ、先でも語ったが激辛カレー事件やいじめによる自殺で、教員は口を揃えて

「知らなかった。」「気づかなかった。」「そんなに重大なことと思わなかった。」

と言うのである。

いじめの痛みが分からないから当然のことである。

また、グループ発表や教授に怒られている生徒を見て、クスクスと笑う人も教職授業では、かなり多い。

失敗した人のことを笑う人間が、生徒の夢を笑わずにいれるのか、いささか疑問である。

私自身もとある授業でグループ発表をしているときに、ボソッといわゆるチャラついた生徒に

「童〇みたいな顔しやがって(笑)」

と言われた。

別にどうでもいいし、面識も一切無いのでスルーしたが、そんな軽口を叩く人物が教員とはお笑い物である。

これが教育現場ではなく、教育現場に立とうとする者を要請している現場の確かな実態なのである。

私はあと2年間教職授業を受けて、教員になろうとは到底思えなくなってしまった。

4.おわりに

ここまで、教職授業のネガティブな面を大量にあげたが、前述の通り、当然まともなやる気と素晴らしい志に満ち溢れた方もいらっしゃる。

私は、教職をやめることに未練も後悔ももはやここまでの闇を見せられて何も無いが、これからの教育現場が不安で仕方ないし、自分の子供世代が学校に通うことを考えるとゾッとしてしまう。

そして私は、どうしてもこの話題をしているときでさえ、いじめに遭っていたときの記憶を思い出してしまう。

加害者側の意見など聞くことはおそらくできないし、公平な教員にはなれないのだろうと思う。

せめて、より多くの素晴らしい方々が教員になることを願うばかりである。

最後になるが、2年前、高校卒業の時にお世話になった担任の先生の前で 「先生みたいな教員になります!!」 と言っていた自分に土下座して謝りたい。

本当に申し訳ない。

こうして、私の中で教職は死んだ。

※追記

一体、どこの大学だという質問が割とあったのですが、まあお答えすると、関東で言う日東駒専くらいのレベルの大学です。

関西だったらまあ、名前は分かるくらいの偏差値50前後の三流大学です。

もっと上のレベルの大学なら、こんなこと無いかもしれませんが、データがないので何とも言えません。